#02 『映画 聲の形』

お久しぶりです。僕です。

久々の更新。1年たってないからセーフ(そんなことない)。

 

今回は映画のことについて書こうと思っています。

普段僕は作品に関する意見とか、感想とかは口頭でも発信しない性質なのですが、今回観た『映画 聲の形』はなかなかに面白かったので書こうと思います。

※ネタバレを含みます。以降は各自の判断でお願いします。

 

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まずはじめに、客層について。

同時期に上映していた『君の名は。』の影響もあったのか、アニメーションも市民権を得てきたようで、割と多くの観客がいたように思います。あと、女性が多かったのも印象的ですね。

 

次に、キャラクターデザインなどなどについて。

キャラデザ、作画ともに最高のものだったと思います。さすが京アニといったところでしょうか。音響監督も鶴岡さん(まどマギとか、物語シリーズとかを担当している人)で、これも文句なしといったところです。

 

展開について。

原作コミック7巻分を129分という限られた時間の中におさめたものなので、スピーディーな展開も少なからずありました。

また、文化祭の映画製作が丸々カットというのはやはり物足りなさを感じました。

なんなら、TVアニメで1クールやっても良かったかも。

 

ここからは、印象に残ったシーン、カットなどを脈略無く、書いていくので読みにくいかもしれませんが、ご勘弁を。

 

石田将也の心情を表した背景。

将也は過去の経験から人とのかかわりを避けていますが、それを如実に表すかのような雲の描写がやはり印象的でした。監督の山田尚子さんも公開直前特番で触れていますが、この作品、極端に雲がありません。周囲を見ないがために外からの情報を得ようとしない将也の心情をよく表していると思いました。

 

佐原みよこの靴の描写。

ここは僕が一番感動したカットです。上映中に内心で(「やってくれたな!!山田監督!」)と叫んだほどです。

終盤、将也の入院中に硝子が佐原のもとに赴くシーンがるのですが、そこでの会話中に佐原の足元が一瞬アップで映されるカットがあります。普段ヒールの高いブーツを履いている佐原ですが、このシーンではローファーを履いています。

原作では植野や硝子との喧嘩に巻き込まれ、ヒールが折れてしまったことから、ローファーを履くようになったのですが、映画では、喧嘩に巻き込まれていないどころか、そのシーンそのものに登場していないので、ヒールが折れることはあり得ません。ということは佐原は自ら靴を履き替えたということになります。

ここからは僕の勝手な憶測ですが、佐原は遊園地に遊びに行ったシーンで、自身の成長について触れられる描写があります。このシーンは映画でもしっかりと描かれていますが、後の橋でのシーンで将也にそれを否定されてしまいます。佐原は作品の中でも良心の一人でもあり、僕個人としても結構成長したキャラ(原作で植野とうまくやっていることからも読み取れると思います)だと思っています。それでも、これまで背伸びしていた佐原が「等身大」の佐原みよことして表現されていたように感じました。

 

演出の柔和化について。

『映画 聲の形』は原作と比べてだいぶ柔和に描かれています。

それがよくわかるのは、他のキャラの描き方だと思います。

永束の見栄っ張りな性格はほぼ描かれず、川井のナルシズムもだいぶ落ち着いていますし、竹内のヒールっぷりも少なく、真柴のいじめや、心理描写もハブられています。映画という媒体にする以上、その時間的制約では、将也と硝子、結弦にスポットをあてるほかなく、いろんな関係各所との兼ね合いなどもあるでしょうから、仕方のないことなのかもしれません。

詳しくはぜひ原作を読んでみて下さい。非常に胸糞悪くなります。特に川井が出てくるシーン。最悪の気分になります。

 

というわけで、今回は 『映画 聲の形』について執筆してきました。

大小はあれど、誰もが持っているであろう過去とどう向き合うのか、人とどう接するのか。『聲の形』は心理描写が少ないとよく耳にしますが、実際の生活においてなぜその人がそのような心理状態になったのかなんてものはわかりません。僕としては、そのことを非常によく表している作品だと思っています。

僕は講談社の回し者ではありませんが、『聲の形』はぜひ原作コミックスも読んでいただきたいものです。

 

ではでは、今回はこのへんで筆をおきたいと思います。